コラム Column

栗原恵「解雇して下さい」から1年。大好きなバレーで今の100%を。

文:田中夕子
Yuko Tanaka

開幕からフル稼働でコートに立つのは、何年ぶりだろうか。

「コンディションは相当いいです。でも、なかなかチームの結果が伴わなくて。楽しいけれど、大変ですね」

あれから14年——。

2003年のワールドカップで「メグカナ」として、人気を博した栗原恵も今年7月で33歳になった。大山加奈は'10年に引退し、現在はバレーボール教室や解説など普及活動に携わる中、栗原は今もなお、日立リヴァーレの選手としてコートに立ち続けている。

10月21日に開幕したV・プレミアリーグ女子大会も11月12日で7試合を終え、日立は1勝6敗となかなか苦しい戦いを強いられているのだが、開幕からフル出場を果たす栗原の調子は至って好調。全日本ジュニアや世界U-23女子選手権など若い選手が開幕直前までチームを離れていたこともあり、他チームは若手が主体で臨む国体予選や国体もフル出場した。

「だいぶ追い込んでもらったおかげで土日も疲れない」と栗原は苦笑いを浮かべるが、状態の良さを感じているのは栗原自身のみならず、同じ33歳のミドルブロッカー、荒木絵里香(トヨタ車体クインシーズ)も同様だ。

「今季のメグはいいですよ。すごくボールが来てる。一番いい時の彼女も知っているし、苦しかった時の彼女も知っているから、今、すごくいい球、強い威力のパンチがある球がどんどん来るのを見ていると、本当に状態がいいんだなと思うし、メグがこれだけ出ていること自体、すごく、すっごく嬉しいです」

「昔はすごいツンツンして、くそ生意気だったなぁ」

もちろんそれは栗原も同じ。何しろ、プリンセスメグ、と華々しくもてはやされた頃は、それが窮屈で苦しかった。

「昔はすごいツンツンしていたと思います。くそ生意気だったなぁ(笑)。つらすぎて、プレッシャーに負けないように、それを隠すために必死だったから。でも今振り返ると、もうちょっと考えて、上手に生きられたんじゃないかなって思いますけどね」

そして、1年前を思い返すと、心から思う。

「またこうしてコートに立ててプレーしている姿を見て喜んでもらえるというのはすごく幸せな選手ですよね。『いらない』って言われてもおかしくない年齢だということは自分でも自覚しているので、その中で、こうして今もいられるのは嬉しいなって思います」

昨年は頭痛や倦怠感に見舞われ、引退を決意した。

今から1年前の2016年。栗原は引退を決意していた。

開幕を間近に控えた昨年9月。栗原はケガもなく、体のキレも良くパフォーマンスも上々だった。前年の2015/16シーズンで準優勝した日立にとって、2016/17シーズンは悲願の優勝に向けた勝負の1年。悲願達成に向け、攻撃力と経験値という武器を持つ栗原に対し、松田明彦・前日立リヴァーレ監督からも「今年はスタート、開幕からメグで行くぞ」と早々に伝えられていた。

異変が生じたのは、開幕まで1カ月に迫った9月の終わりごろだ。

それまで経験したことのない頭痛や倦怠感に見舞われ、ひどい時は横になっても寝ることすらできなかった。

本来ならその時点で「おかしい」と違和感を訴え、病院に行くなり、練習を休むなり、対処策はいくつもあったはずなのだが、元来痛みなどに耐える力が強く、周囲に心配させまいと練習を続けた。

何より、「開幕から行く」と言われている以上、そのチャンスを失いたくないという気持ちが痛みをも上回り、練習が始まれば自分でも不調を忘れるほど体は動いていた。

「『解雇して下さい』って何度も言いに行きました」

このまま開幕を迎えるまでに痛みも消えるだろう。そう思っていた矢先、体調不良を心配したトレーナーに付き添われ病院へ向かうことに。「2時間だけ抜けさせて下さい」と体育館を後にした栗原だが、直後に2週間の入院を余儀なくされ、再び体育館に戻ったのは3カ月が過ぎてからだった。

「監督もチームの選手も、みんなが『出られる時のために準備してくれればいい』と言ってくれたんです。でも私はプロ契約なのに、試合どころか練習へも出られないのが申し訳なさ過ぎて、『解雇して下さい』って何度も言いに行きました」

ケガならばリハビリもできるが、体調不良では体を動かすこともできず、3カ月で筋肉量も目に見えて落ちた。過去、ケガをして手術した経験はあるが、その後コートへ復帰した時よりもずっと時間が長いように感じられた。

「やっぱり私はバレ—ボールが好きだなって」

折れそうな心を支えてくれたのは、至ってシンプルな思いだった。

「やっぱり私はバレ—ボールが好きだなって。もちろん好きだけじゃできないけれど、辞めようとか、辞めなきゃと思うシーンで、その時、その時にいつも支えてくれる人たちがいる。試合に出られないならここにいる意味はないから去ろうって思っても、引き留めてくれる。必要とされるってすごくありがたいことですよね。だから、今年はチームに恩返しをしようって思いました」

アテネ、北京と二度の五輪出場を果たした。華やかに見える選手生活の陰で、'10年には左膝半月板断裂、翌年には左膝軟骨損傷、'13年には右膝前十字靭帯損傷と三度の手術と長いリハビリを経験している。

ケガをする前の自分にピークを決めるならば、パイオニアレッドウィングスのエースとして活躍した'06年、当時は常に相手ブロックの上から鋭角に打てる、サーブでも絶対にポイントを取れる、という自信があり、「とにかく高く跳べばそこにトスが来て、強く打てば決まる、と思っていた」と振り返る。

ジャンプ力が落ちたことを嘆くのではなく。

あの頃よりも跳べなくなった自分を、ただ苦しいと思うこともあったが、今は違う。

「ケガをしてすぐの頃は、ケガをする前の自分と比べてしまって、葛藤が大きすぎて悩みました。でも今は違いますね。ケガをする前と今、体も感覚も違って当たり前。ケガをして、手術もして、リハビリもして痛みがなくなった今の自分の体でベストを見つけないといけないなって思えるようになりました」

確かに今はジャンプ力も落ちて、あの頃の感覚には程遠い。だが、上から打てなくなったと嘆くのではなく、指先を狙ったり、下ではなく奥へ打ったり、考え方を変えればまた違うバレーボールに触れ、楽しさを感じられるようになった。

大山だけでなく同級生の多くが引退し、昨シーズン限りで木村沙織や迫田さおり、共に全日本で戦った自身よりも若い選手たちもユニフォームを脱いだ。

「ここまで泥臭く続けるとは、自分が一番、思いもしなかった」という栗原は、自身のこれからをどう描いているのだろうか。

「自分の中ではこれがマックス、100%です」

「どうするんだろう。先は全然見えないし、これからどうなるのか、怖さもあります。でもこれから決めて行けるっていう楽しみもあるし、あまり悲観的にはとらえていなくて。ただ、やり残したことがあるからずっとやっているのかと言われるとそうではないかな。一通りの経験、いい時も悪い時も経験したし、つらい思いも確かにしたかもしれないけど、その分いい思いもしてきた。そう考えると、辞める時にも後悔は残らないのかなって」

ああでもない、こうでもないと目の前の課題に試行錯誤したり、相手チームの若手選手が打ったバックアタックをよけきれず顔面で受けてしまい「恥ずかしい」と照れ笑いを浮かべる。それも今の自分で、それが今の自分。

「今は『何点ですか?』、『何割ですか?』ってよく聞かれるけど、わからないですよね。いつも、自分の中ではこれがマックス、100%ですから」

まだまだ、これから。

新しいシーズンは、始まったばかりだ。

ナンバーオリジナル商品展開中

スポーツは読むと面白い!