コラム Column

イチローの誰も知らない大記録。24年前の「46試合連続安打」。

文:広尾晃
Kou Hiroo

イチローがNPBからアメリカに渡ったのは2001年のことだったが、入れ替わりにこの年デビューした巨人の阿部慎之助が、このほど2000本安打を記録した。間もなく、2004年デビューの阪神、鳥谷敬も大台に達する。イチローとともに日本でプレーしたことのない世代が、2000本安打を打つ時代になったのだ。

マイアミや イチローは遠く なりにけり

そのイチローと言えば、「記録の宝庫」と言えるが、ここでは超レアな記録を紹介しておきたい。それは2シーズンにまたがって続いた、二軍での「46試合連続安打」だ。

「栴檀は双葉より芳し」というが、これこそ世界の安打製造機イチローの原点ともいうべき空前の記録だ。

イチローがドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団したのは1992年。

当時の土井正三監督の覚えはめでたかったとは言い難く、春の一軍でのオープン戦には出場がない。なお登録名は、本名の鈴木一朗である。

1年目は二軍スタートで58試合、打率.366。

二軍でスタートした鈴木のプロデビューはウエスタン・リーグの開幕戦、神戸第二球場での広島戦。1番中堅でスタメン出場したイチローは、初安打を放っている。

以後もほぼ1番で起用され、58試合で238打数87安打、打率.366を記録した。

この活躍が首脳陣の目に留まって一軍に呼ばれ、7月11日の平和台球場でのダイエー戦で一軍デビュー。左翼の守備固めで途中出場した。2回打席に立ったが安打は出なかった。

翌日は9番左翼でスタメンに起用され、5回表に木村恵二から一軍初安打を打っている。

このときのオリックスの2番二塁は現オリックス監督の福良淳一、相手のダイエーは44歳の門田博光が代打で出場している。昭和の大打者、門田とイチローは一軍の公式戦で対戦していた、これも驚きだ。

昇格後に出場したファームの試合でヒットを重ねた。

さて、イチローの二軍での大記録は、誰も知らないうちに始まっていた。

6月20日、広島市民球場でのウエスタン・リーグ広島戦、1番左翼で出場したイチローは、足立亘から2安打、これを皮切りに12試合連続安打を記録した。前述した通り、7月11日に一軍に呼ばれたから、この記録は継続している。

なお7月17日には東京ドームで行われたジュニアオールスターゲームで、8回に同期、同学年の近鉄、中村紀洋の代打で打席に立ち、大洋の有働克也の2球目をライトスタンドに放り込み、MVPに輝いている。イチローはこの時の賞金をすべて福祉施設に寄付。これも異例と言われた。

以後もイチローは一軍で主として代走、守備固め、ときどきスタメンという感じで起用されるが、その間も暇があれば二軍の本拠地・神戸第二球場の公式戦に出場していた。

7月24日ダイエー戦、8月12日阪神戦、8月23日近鉄戦、9月7日広島戦と、鈴木は飛び飛びで出場した4試合ですべて安打を打っている。これもできそうでできない記録だ。

首位打者、ビッグホープ賞という初タイトル獲得。

こうして1992年は、二軍で16試合連続安打を継続してシーズン終了した。

一軍では40試合95打数24安打0本塁打5打点3盗塁 打率.253。

二軍では58試合238打数87安打3本塁打16打点10盗塁 打率.366。

規定打席243を辛うじてクリアして首位打者を獲得。将来有望なファーム選手を表彰するビッグホープ賞も受賞した。イチローにとっての初タイトルだ。

翌1993年には有望株の一人となる。オープン戦では2月27日の糸満での中日戦から出場。3月17日の神戸球場の巨人戦では、高校時代から互いに意識しあった1歳下の松井秀喜と初対戦している。オープン戦16試合で44打数12安打1本塁打5打点1盗塁の.273を残し、開幕一軍の切符を手にした。

野茂相手にプロ初本塁打を放ったが、再び二軍へ。

しかし鈴木一朗の2年目は外野の控え扱いだった。藤井康雄、新外国人タイゲイニー、高橋智、内野から外野にコンバートされた田口壮らの外野手がいる中、守備固め、代走での起用がメーンで11試合12打数1安打にとどまり、4月24日の試合終了後、二軍行きを命じられる。

ここから二軍での安打記録が再び始まる。4月25日の由宇でのウエスタン・リーグ、広島戦、1番中堅で出場した鈴木一朗はさっそく2安打を放ち、ここから13試合連続安打。前年からの連続試合安打は「29」にまで伸びた。

この活躍ぶりに首脳陣は5月21日の神戸球場、西武戦から鈴木を再び一軍に引き上げた。

6月12日には新潟県の長岡市悠久山球場の近鉄戦で、野茂英雄からプロ入り初本塁打を記録するが21試合33打数7安打にとどまり、7月6日には再び二軍落ちした。

仰木監督のもと「イチロー」となった3年目に……。

ここからイチローは、フレッシュオールスター(2打数0安打)を挟んでさらに17試合連続安打を記録したのだ。空前の二軍での連続試合安打が「46」で途切れたのは8月8日、滋賀県湖東球場での阪神戦、一番中堅で出場し、阪神先発・三笘義太郎の前に3打数0安打に倒れた。

二軍の46試合連続安打は、1992年6月20日から1993年8月7日まで、1年以上かけて達成された。以下、1993年の成績だ。

一軍:43試合64打数12安打1本塁打3打点0盗塁 打率.188
二軍:48試合186打数69安打8本塁打23打点11盗塁 打率.371

翌'94年、仰木彬新監督は鈴木一朗の異能ぶりに驚き、イチローと登録名を改めさせ重用する。

2月21日の宮古島での横浜とのオープン戦第1戦では、1番中堅で先発し、友利結からランニング満塁ホームランという破天荒なスタート。

開幕後も不動の1番打者として固定され、この年はNPB記録の210安打を記録、打率.385で首位打者、MVPを受賞、スターダムに躍り出た。

無意識にできた記録だからこそ、この数字は凄い。

イチローは1993年を最後に、二度と二軍戦に出ることはなかった。

二軍記録は整備されていないため、イチローの「46」に次ぐ連続試合安打記録が何試合なのかはわからない。しかし一軍の連続試合安打記録が1979年の高橋慶彦の「33」、2位が1971年、長池徳二の「32」であることを考えると、この記録の破天荒さがわかる。ちなみにイチローは「23」を2回記録している。

20世紀以降のMLBでは、1941年、ジョー・ディマジオの「56」が1位、2位が1978年、ピート・ローズの「44」だ。イチローは連続試合安打記録でもピート・ローズに微妙に絡んでいたのだ。

おそらく、イチローも周囲もこの二軍での大記録は意識しなかっただろう。彼は無心に安打を打ち続けたに過ぎない。しかし無意識にできた記録だからこそ、この数字は凄い。

改めてイチローは「安打を打つためにこの世に生まれてきた」ことを実感する。

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