コラム Column

桐生祥秀の9秒98が生まれた軌跡。土江コーチが語る反発、信頼、進化。

文:折山淑美
Toshimi Oriyama

9月9日の日本インカレ男子100mで桐生祥秀が出した9秒98。彼を指導する東洋大の土江裕寛コーチは翌日の10日、レースをこう振り返った。

「今年の春先の感じでは、100mを走るということでとにかくスタートを意識した走りになっていた。昨日の本人は『しっかりスターティングブロックを蹴る』という意識でスタートしたというが、全体としてはすごくゆったり見える走りで、春先とはまったく違うパターンでした。決勝は最後まで走りきって、いつもより1歩少ない47歩になったが、ゆったり動けたことで2〜3cm広いストライドで走れたのかなと思う。

今回は不安があったというか……完璧な準備をしてきた形ではなかったことも逆にプラスに働いた。スタートのところも“ガツンと行かない”トレーニングしかできなかったので。そこにあまりこだわらなかったということと、記録というものを意識したレースではなかったことが、9秒98につながったのかなと思います」

世界選手権後は左ハムストリングに不安が出て、スピード系の練習はあまりできなかった。その間にできたのは、スピードが出ない250mや300mの練習ばかり。5日連続で250mの練習だけをやったこともあったという。今回のレース用にスパイクを履いたのも、大会前日になってからだった。

「行きます!」ではなく「行こうかな」。

そんな中、土江と短距離部門の梶原道明監督は、最後のインカレの出場種目選択も含めて、すべてを桐生本人の判断に委ねることにした。

当初、桐生は200mを意識していたという。大学に入ってからは、100mでも200mでも高校時代の自己ベストを更新できていなかったから、最後の大会では、せめて1種目でも自己ベストを出したいと考えていたのだ。

その頃の練習内容を考えれば、200mの20秒41をターゲットにした方が、記録更新の可能性は高いと思っていた。しかし初日の100m予選と準決勝を、10秒18と10秒14という好タイムで走れたことによって、100mで勝負するか200mにするかという迷いは残ったままとなった。

「2日目の昼の200mの予選を走った後でも(桐生と)一緒に迷っていました。『どうする?』『どうすればいいんですかね』というような無言の状態が30分くらい続きました。それで『行くか?』ということで……気合いが入った『行きます!』というような感じではなく、『行こうかな』みたいな感じで決めて。決断をすればガーッとスイッチが入る奴だから、そこから決勝へ向けて桐生らしい戦闘モードを作っていけたのだと思います」

正式計時、記者会見でずっと涙を流していた。

その決断も記録を狙ってのものではなかった。東洋大のユニフォームを着て走る最後の大会。桐生は、自分が一番勝負をしたいと思う100mに背を向けることを潔しとしなかっただけなのだ。多田修平との勝負から逃げるのではなく、キッチリ戦って大学生活を終わりたい——という気持を打ち消すことができなかったからだ。

そのレースをスタンドのプレス席で見ていた土江は、速報計時に「追い風1.8m」「9秒99」と出た瞬間両手を突き上げた。そして、両手を合わせて祈りながら正式計時の発表を待ち続けた。「9秒98」と表示されると、大声を上げて涙をボロボロ流しながらトレーナーの後藤勤と抱き合い、周囲の人からの祝福を受け入れた。さらに記者会見でも、桐生が感謝の言葉や入学時に反発したことなどを口にする横で、涙を流し続けていた。

「僕がいっぱい(桐生に)介入して記録を出させようとした時の方が出なかったので……。それがよく分かって今回は勉強になりました」と土江は苦笑する。

桐生の東洋大入学とともにコーチに就任した時は、「単純にこの選手とやりたいと思っていたが、これだけ注目されている選手だから失敗は出来ない。もし失敗したらその後は陸上競技の指導者は出来ない」という覚悟を決めていたという。

「僕自身、競技者としてはナショナルチームに入ってやっていたし、指導者としても数年の経験はあったが、桐生とやるようになってからはそれまでやってきた手法は一切通用しないな、と思いました。それまではこっちから『こうだ』という客観的な視点のコーチングしか出来ていなかったが、桐生とやるなかで、選手を主体に考えて『どう感じているのか』『どう助言すればいいのか』というようなことをイチから勉強したと思います」

「僕を速く走らせる自信がないんですね」

土江が今でも忘れられないのは、桐生が1年になったばかりの春先に「あなたは僕を速く走らせる自信がないんですね」と言われたことだという。「僕は細かいことをゴチャゴチャいうタイプだから、そのフラストレーションが溜まっていて爆発したのだと思う」と振り返り、こう続けた。

「でもあの時、僕も本当に自信がないのかなと思いました。僕は何をするにしても常に根拠を大事にしたいと思っているし、こういう経過があるからこういう記録が出る、というのを絶対にブラさないようにしているんです。

実際に桐生が1年の時は、彼に9秒台を出させるという根拠を持てなかったので、そういう内容のアドバイスは言わなかった。

でも、そういう問答の中で桐生に、『僕は五輪のファイナルに出てメダルを獲ることが目標なんです。そのためにどうやればいいか考えてください』と、ズバッと言われたんです」

徐々に徐々に信頼し合える関係になった。

大学2年目の冬には、土江が「この練習を」と課した内容でトレーニングを進めることが多くなり、ウエイトトレーニングも一般的なものを取り入れ始めた。3月にはアメリカで追い風3.3mの参考記録ながらも9秒87を出すという成果を上げた。

だがそれは、桐生本人がやりたい形のトレーニングではなかったという。その迷いが、日本選手権前の肉離れにつながったのではないか、というのだ。

これを契機に、今度は桐生本人が自ら「こういうことをやらせてほしい」と土江に言ってくるようになり、ふたりで互いに練習方法を提案しあった上で方向を決めていく形となった。

「だから信頼し合える関係になったのは何かがあって一気にというのではなく、徐々に徐々にでしたね。梶原監督には『桐生ほど裏と表が無い選手はいないぞ。こんなことを考えているというのがハッキリ伝わって来るんだから、そう考えてやればいいんじゃないか』と言われたけど、本当に彼はシンプルで裏表がないんです。

今年の日本選手権でダメだったあとも、『こういうつもりでやっているけど、これからもやってくれるか』と言ったら、ハッキリと『やります』と言ってくれたし。桐生のいうことに嘘はないとも思っているので本当に嬉しかったですね」

世界陸上で大きかった藤光謙司の存在。

そんな桐生が選手として大きく成長したのは、リレー要員として遠征した世界選手権だったと土江は言う。彼もその大会には、男子短距離五輪強化スタッフとして帯同していた。

「個人種目は出られないのでリレーだけなのだけど、現地に入るのは他の短距離勢と一緒でレースまでの時間は長かったから。もしそこで桐生ひとりだけだったら、おそらくどこかでパンクしていたと思います。

だから藤光謙司くんの存在がものすごく大きかった。

彼もリレーだけという同じ立場だったし、あれだけのベテランでテンションもグッと抑えられる選手だから……彼が桐生に対してすごく気をつかってくれていろんなところに連れ出してくれたけど、多分ひとりだったら100mのレースも見に行っていないと思うんです。

彼がいてくれたおかげでいろんなことをマイナスに捕らえるのではなく、自然に競技観戦も出来た。当然そこでは悔しいという思いもすごくあっただろうから……藤光くんがいなかったら今回の9秒98もなかったと思います」

「9秒8台もそんなに難しくないのかな」

決勝後には会場に来ていた藤光も抱き合って祝福してくれたという。

藤光だけではなく、これまで自分を支えてくれた人たちの喜ぶ姿を見て、東洋大での競技生活を終わりたい……そのためには全員が心から喜んでくれる100mでなければいけない、と考えたことが、今回の記録達成につながったのではないだろうか。

「五輪でファイナルという目標も、今のところは予選で弾き飛ばされる結果しかないから、9秒台を出したことでやっとチャレンジが始まるという感じですね。

これからは、世界のトップ選手と走る中で自信につながるような積み重ねがどれだけ出来るか、だと思います。今回は記録を出す準備も出来ていない状態で、決勝進出も直前まで迷ったような中で、記録を出せたわけですから……。

これで、春先のようにキチンと記録を出す準備をして、今回のようにノビノビとしたレースが出来れば、9秒9台前半とか9秒8台というところもそんなに難しくないのかな、という感覚を持ちました。そのためにもこの冬には根拠のある何らかの変化というのをね……その変化をグランド上で結果として残せるようにしていけたらと思います」

かつて高野進は、末續慎吾という素晴らしい選手と出会ったことで新たな発想が生まれるようになり、指導者としての手腕を高めたそうだ。また水泳の平井伯昌も、北島康介がいたからこそ元々持っていた指導者としての想像力を、さらに豊かにできたのだという。

「今回でやっと、少し成長したという実感を得られた」と笑う土江と桐生との二人三脚の戦いは、これからやっと本当の進化の段階に入るのだろう。

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