コラム Column

菊池雄星は何を信じ、何を疑ったか。二段モーション問題からの復活劇。

文:氏原英明
Hideaki Ujihara

今にも小雨がちらついてきそうな空模様の中、菊池雄星は頭の上に乗せていたサングラスをかけた。

報道陣が増え、これから数時間後に立つマウンドへの不安を周囲に悟られたくなかったのかもしれない。

「1番いい時の力が100としたら今年はもう(100の力で投げるのは)無理かもしれません」

一通りのウオーミングアップを終えた菊池は苦しい胸の内をそう吐露して、ロッカールームへと消えていった。

8月31日、二段モーションによる反則投球が宣告されてから3試合目の登板となったこの日。エースは確かに傷ついていた。

5月からフォームを確かに変えていたが……。

菊池の投球フォームに初めてケチがついたのは、5月12日のオリックス戦のこと。真鍋審判員に「(反則投球)ギリギリだぞ」と言われたのが始まりだった。

5月からフォームを少し変えていたため、全く身に覚えがないというわけではなかったが、ひとりの審判から警告を受けただけで、それから3カ月の間、本人、球団には何の音沙汰もなかった。

それが8月になると雲行きが怪しくなる。同月10日の登板後に球団に注意が入ると、同17日の楽天戦で初めて反則が宣告されたのである。

「なんで今頃」という言葉ばかりが報道されたが、菊池、そして彼を見守る土肥義弘ピッチングコーチ、球団が一貫して審判団に求めたのは、菊池の投球フォームのどの部分がどう反則であるかの説明だった。

しかし、審判団は「応えられない」と煙に巻くだけだった。

ようやく反則の中身が明らかになったのは、8月24日のソフトバンク戦。菊池が初球を投じると反則投球を宣告。試合後に取材に応じた当該審判団のひとりが「菊池投手のフォームはビデオでも確認している。開幕の頃とは明らかに違う。段がついている。これはダメだと思って取りました」と報道陣に説明したのだった。

審判長の事情説明に、「納得できないですよ」。

その説明を受けて土肥コーチが発した言葉が、西武側の混乱を示している。

「今まではそれすら説明がなかった。(投球フォームに)段がついているなら、そう言ってくれればもう少し対処のしようがあったんですけど、その説明がなかったですから」

ここから問題が急展開する。

翌25日に、友寄正人審判長が事情説明をマスコミに向けて行ったのだ。これには菊池本人を含めて球団は衝撃を受けた。

「反則事由」ではない。根も葉もない内容だけが一方的に報道されたからだ。

・何度も菊池に反則の注意を行っているが、改善が見られない。
・ほかの投手にも注意している。菊池だけが直さない。

菊池はその時の胸の内を、近しい記者にこう打ち明けている。

「何度も注意したと審判長は言っていますけど、それはイニング間に歩きながらのことでした。それ1回きりです。それは注意だったのか分からないです。ソフトバンク戦のあと、2段モーションは『止める』のが問題ではなく『上下すること』だと知りました。納得できないですよ」

話し合いの席で、菊池は審判団を問いただした。

27日、友寄審判長が西武球団や本人たちとの話し合いのため、メットライフドームを訪れた。そのとき、5月12日の試合で真鍋審判員が菊池に注意したことを、審判団が把握していなかったことが確認された。「何度も注意した」という報道も真実と異なることが分かり、菊池はその席で審判団の姿勢を問いただした。

「1人の意見を、それも審判団が誰ひとり把握していないものを、それを注意といえるのでしょうか」

「ほかの選手には注意した段階で『どこが悪いか』を説明して頂けていますがが、なぜ、今回は教えてくれなかったのですか」

前者の質問に対して友寄審判長は「それは注意とは言わない。初めての注意は8月10日だったと訂正する」というものだった。

しかしその後、審判団の方から発言を撤回したという報道はいまのところ聞こえてこない。

審判への不信感と、エースとしての責任感。

反則ならばそれでもいい。プロであるなら堂々とした姿を見せてほしいというのが菊池の想いだった。

「反則の内容を教えなかったのは、各審判団が注意してくれているものだと思った。それは謝罪する。差別やパワハラではない」と友寄は必死に弁解したが、「なぜ、僕だけ……」という不信感がそう簡単に消えるはずもなかった。

とはいえ、時間は待ってくれない。審判への不信感がある一方で「やらなけれないけない」という悲壮なる決意は、登板日の菊池の心を「不安」で埋めつくしていた。

8月31日の試合前の言葉には、菊池の心情が映し出されていた。

左肩を下げて力をためる投球理論。

私見だが、菊池が2段モーションの反則を宣告された伏線には彼が土肥コーチと確立したある投球理論があると考えている。

菊池は右足を上げてバックスイングに入る際に、左肩をやや下げて投球フォームに入っている。これには菊池自身がパワーを生み出すために必要な作業として取り入れたものだ。

「両肩を水平にしたほうがいいという人はいますが、そうすると傾斜を上手く使えないと僕は思うんです。“ショルダーステイ”っていうんですけど、肩を落とすことで、投げに行く時に加速がつくんです。ストライクを欲しがるとどうしてもここが浅くなるんですけど、そうなるといい球がいかない。左肩を落とせば加速を使えて、身体の力も使えるんです」

一度下げた肩は、当然上げなくてはいけない。菊池はバックスイングの際に、体重が左股関節に十分に乗るように力を貯める。そして蓄えた分を開放するためには、その時間、いわゆる“間”が必要だった。それが右足を上げた際の少しのタメにつながり、2段モーションにつながったのではないか。

いわば、菊池にとって反則を取られた右足の動きは、右足そのものではなく、身体の逆側の部分からくる動きだった。

プロに入って数年は、肩を水平にして投げていた。

菊池の理念は一貫している。

投げる方の肩を下げるべきという投球フォーム理論は、対戦した投手を見ていても、感じるという。

「ある投手と対戦したときに、横から見ていて、高校の時の彼とは違うなと思いました。その選手の一番の持ち味は、右肩を下げてパワーをためて投げていくところでした。だから155kmとか、それくらいの球を投げられていたと思うんです。今は水平に出て行っています。実は僕も高校時代は左肩を下げていて、プロに入って数年は水平で投げていました。理由はケガして怖くなったことと、コントロールを気にしたからです。ただ肩は下げないとパワーは生まれないと思うんです」

試合の前日、菊池のブルペン投球はひどい状態だった。

とはいえ反則と言われたからには、身体の力を貯める動きを修正する必要がある。

シーズンが終盤に差し掛かっているこの時期に、彼自身の理論を実現する新しいフォームを作り直すには時間が足りなかった。土肥コーチによれば、8月31日の試合の前日、菊池のブルペン投球はひどいものだったという。

「ボールがよく抜けていましたね。前までと違っていました。本人はタイミングが合わないと言っていました。試合でクイックにするというのも選択肢ですけど、いったんは身体を大きく使わないとうまくいかないと思います。試合が始まってからどう調整していくかですね」

絶望的な状況で本番を迎えた。

初球のストレートを投げ込むと、楽天の1番・オコエ瑠偉にバックスクリーン横に放り込まれた。ただこれについては、菊池のボールに本来のパワーはなかったとはいえ、打ったオコエをほめるべき場面だろう。「菊池さんのストレートに合わせて打ちにいかないことには、打てなかったとしても、得るものがない」と割り切ったオコエの勝利だったのだ。

菊池がこれまでとの違いを見せたのはそこからだ。

かつては一度崩れると立ち直れなかった菊池が。

かつての菊池は出鼻をくじかれると、ズルズルと崩れていくことが多かった。しかし、この日は立て直して見せた。

スライダーを巧みに使う。カーブ、チェンジアップ、そしてフォークまで混ぜた。

「今日に関してはスライダーで、ストレートのキレを戻そうと考えました。今までのフォームと違うので、試合の序盤は身体の開きが少し早くなってスライダーも膨らみ気味だった。でもスライダーが膨らまずに小さくなれば、ストレートもキレが戻ってくるだろうと意識しました。いつもはカーブが目安なんですけど、今日はスライダーを軸にしました。それが上手くいきました」

左肩を下げて“間”を作ることで力を生み出すストレートが出せないのなら、今までとは異なるアプローチでピッチングを組み立てる。技術的、精神的に一本槍だった菊池が幅を見せたのは「成長」という言葉に尽きる。

「だてに苦しんできていません(笑)」

9回を投げて5安打2失点11奪三振完投勝利。チーム2位浮上に導くエースの貫禄を見せた。

「ここで打たれてしまうと、あのフォームだったからだとか、色々言われるのが嫌だった。今日は絶対に勝ちたいという想いで臨んだ。フォームを修正できて勝てたんで良かった」

試合後の囲み取材でそう報道陣に伝え、バスへと乗り込んでいった。菊池には少し明るさが戻っていた。

「怪腕やな」

楽天の選手が引き上げてくるのを待っている時、そうメッセージを送るとレスポンスがあった。

「8年間、フォームとの戦いでした。だてに苦しんできていません(笑)」

自信をつかみ直すと同時に「僕はまだまだこれで終わらない」という彼なりの主張にもみえた。

苦しみ、考え抜いてきた8年間。今季は快調なスタートを切っていたが、シーズンの終盤にフォームにケチがついた。

そのなかでみせた菊池の胆力。またひとつ、菊池が階段を昇った。

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