コラム Column

実は世界の100m走は遅くなっている?日本人の五輪決勝は夢物語ではない。

文:生島淳
Jun Ikushima

桐生祥秀がついに9秒台に突入し、日本の陸上界は新時代を迎えた。

1990年代までは男子マラソンが王者であり、そこから2004年のアテネ・オリンピックまでは女子マラソンの黄金期へと移行した。

その後はハンマー投げの室伏広治が陸上界の顔だったが、ここに来て100mの時代が幕を開けた。

大胆に予測するなら、今後日本のスプリンターたちは世界との差を縮めていくと考える。そのヒントとなったのは、ロンドンの世界選手権の最中、8月7日付のイギリスの新聞『The Times』を読んでからだ。

文中には過去5年間のオリンピック、世界選手権の男子100m決勝のタイムが折れ線グラフで表され、“100m finals getting slower”という見出しがつけられていた。

「男子100mは遅くなっている」という意味だ。これが実に興味深かった。

全てはウサイン・ボルトから始まった。

後世になって振り返った時、2012年が男子100mのレースレベルがピークだった——と総括されるかもしれない。

異常なレベルの高騰を呼んだのは、ウサイン・ボルトの存在である。

もともとボルトは200mと400mを専門とするはずだったが、「400mの練習はキツすぎるから、100mと200mに転向したい」と考え、実際に100mのレースに出て、コーチを納得させたという経緯がある。

彼が100mに本格参戦したのは2008年のことで、その年の北京オリンピックで9秒69という驚異的なタイムをマークする。

この走りは、それまでの既成概念を覆す“価値破壊的な走り”だったが、彼の100mへの参戦は他の選手のレベルを引き上げる結果になった。

2012年には、銅メダルが9秒7台という異常事態。

2009年、ボルトはベルリンの世界選手権で9秒58という信じられない世界記録をマークし、それに引っ張られるようにしてジャマイカのヨハン・ブレイク、アメリカのタイソン・ゲイ、ジャスティン・ガトリンらがタイムを伸ばしていった。

その競争の到達点が、2012年のロンドン・オリンピックだった。

優勝したボルトは9秒63。2位のブレイクは9秒75、3位のガトリン(そう、この時からロンドンでは不人気だった)は9秒79で、このふたりは自己ベストをマークしている。このレースは史上稀に見るハイレベルの戦いで、銅メダルのラインが9秒79という記録に戻ることは、二度とないのではないか。

その後、モスクワ、北京の世界選手権、リオデジャネイロ・オリンピックとボルトの優勝タイムは緩やかに下降していき、それにともなって、2位のタイムは9秒8台、3位は9秒9台へと落ちついていった。

そして今年のロンドンの世界選手権で、ついに優勝から3位までの選手たちが9秒9台になった。もっとも、8月のロンドンは寒すぎて、短距離の記録が出るような状況ではなかったので、それを差し引いて考える必要がある。

世界は下降線、日本は右肩上がり。

余談だが、今回の桐生の9秒98のタイムが、リオデジャネイロ・オリンピックだったら7位相当、ロンドン世界陸上だったら4位相当になる——というテレビ報道を目にしたが、条件の違うレースのタイムを比較している時点で、私からすれば“フェイク・ニュース”に思える。歴代10傑などとは違い、特定のレースと比較するのはフェアではない。リオデジャネイロでは追い風0.2m、ロンドンは向かい風0.8mだった。気温も違うし、なぜ同じ土俵に乗せるのか、私には理解できない。

100mを取り巻く世界の状況を考えると、日本にとってチャンスだな、と思う。

100mの世界はゆるやかに下降曲線を描いているが、日本のスプリンターたちは逆に右肩上がりだ。現役の日本人選手たちのベストタイムを整理しておこう。

桐生の9秒台突入で、他の選手の可能性も広がる。

桐生祥秀 9秒98
山縣亮太 10秒03
サニブラウン・アブデル・ハキーム 10秒05
多田修平 10秒07
飯塚翔太 10秒08
ケンブリッジ飛鳥 10秒08

山縣のタイムだけが昨年9月のもので、他の選手たちはすべて今年マークしているタイムだというのが日本の強みだ。

桐生の9秒台突入によって、他の選手たちの「マインドセット」が変わるだろうと陸上関係者は予想しているが、風向き、気温などの条件さえ整えば、2018年に複数の選手が9秒台に突入する可能性はあると思う(もちろん、簡単なことではないが)。

特にフロリダ大学に拠点を移すサニブラウンは、同じ大学生の9秒台の選手と走る機会も増えるだろうから、大きなチャンスがあるだろう。また、多田は後半の減速幅をいかに抑えるかという課題が明快で、国体後の冬の間にどんなトレーニングを積むかがポイントとなる。

近い将来、世界の緩やかな曲線と、日本の上昇曲線が交差する日が来るのではないかと思う。

トップ選手の年齢構成も、日本を後押ししている。

それには、年齢的な要素もある。

世界の100mの世界では世代交代が進んでいる。ロンドン世界選手権のファイナリストの年齢を見てみよう(年齢は100m決勝時のもの)。

ガトリン(アメリカ)  35
コールマン(アメリカ)  21
ボルト(ジャマイカ)  30
ブレイク(ジャマイカ)  27
シンビーネ(南アフリカ)  23
ビコ(フランス)  25
プレスコッド(イギリス)  21
蘇(中国)  27

今後はコールマンが軸となり、シンビーネ、プレスコッドらの時代が到来するだろう。

スプリンターの絶頂期が、どの年齢で来るのかは選手によってバラつきが大きい。ガトリンのように35歳で世界の頂点に立つ選手もいる。しかし、一般的には20代中盤に多くの選手は黄金期を迎える。

2019年カタールのドーハで開かれる世界選手権、そして2020年の東京オリンピック。日本の選手たちが複数、100m決勝に駒を進めるのは、決して夢物語ではないと思う。

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