コラム Column

女子体操界の40年間の計画、結実——。村上茉愛の金メダルに込められた執念。

文:矢内由美子
Yumiko Yanai

カナダ・モントリオール。1976年にこの地で開催されたオリンピックは、世界の体操界に衝撃を与えた大会として知られる。

ルーマニアからやってきた14歳の“妖精”ナディア・コマネチが、史上初の10点満点を出し、そして、連発した。

それから41年——。

10月2日から8日まで行なわれた体操世界選手権で、コマネチさんは大会アンバサダーとして競技開始前や表彰式に登場し、連日温かい拍手を送られていた。

こうして迎えた大会最終日の8日(日本時間9日)。今大会で誕生した男女7人の新チャンピオンの1人として、世界にその名をとどろかせることになったのが、種目別女子ゆかの村上茉愛(日体大)だ。

予選2位で種目別決勝に進んだ村上は、冒頭の片足4回ターンを丁寧にまとめて好スタートを切ると、H難度の大技・シリバスをはじめ、ボーナス点をもらえるアクロバットの連続技もピタリと着地を決めるなど、最後まで隙のない演技を披露した。

演技構成の難度を示すDスコア5.9点は出場8選手で最も高く、出来映えを示すEスコアも8.333点とまずまず。14.233点で見事に優勝を飾った。日本女子の金メダルは、'54年ローマ大会で平均台優勝を飾った田中(現姓池田)敬子以来2人目で、女子のゆかでは初の快挙だった。

「今回獲っておかないと、東京五輪は無理」

ゆかの2日前にあった女子個人総合決勝では、予選を首位で通過しながら平均台の落下が響いて4位に終わり、号泣していた。

「ゆかで(金メダルを)獲らないと日本に帰れないと思っていた。個人総合からの2日間はネガティブな自分が出てしまい、恐かった」

今大会はリオ五輪の同種目優勝者、シモーン・バイルス(米国)が休養中で、予選首位通過だったラーガン・スミス(米国)は大会中の負傷で棄権していた。強豪は不在。だからこそ、思った。

「今回獲っておかないと、東京五輪は無理」

期する思いは非常に強く、プレッシャーを感じるのも無理はなかった。

そんな中で実力通りの演技を見せて優勝した。「練習通りのものを出せたのは成長の証だと思う。人生で一番良い演技だった」。ホッとしながら話す表情に、愛らしさが漂った。

初出場の'13年、4位の結果に会場からブーイングも。

メダルを獲れるだけの素質を持っていることを誰もが認めていた。

池谷幸雄体操倶楽部に通っていた小学5年生の頃から「シリバス(後方抱え込み2回宙返り2回ひねり)」をマスター。試合でも小6ですでに使っていた。以前、初めてできたときの記憶を尋ねると、「あまり何も考えず、恐いと思ったこともない。すぐにできたので」とサラッと話していた。

それでも表彰台に手が届かないというのが現実だった。

初出場だった'13年のアントワープ世界選手権では、高難度のアクロバットを豪快に決めたものの、3位のラリッサ・ヨルダケ(ルーマニア)に0.134点及ばず4位。

このときは、点が出たときに会場からブーイングが起きたほどで、女子体操界のレジェンドであるオクサナ・チュソビチナ(ウズベキスタン)も「マイの演技はとても良かった。3番に入っていても良かったと思う」と話していたが、とにかく結果を受け入れるしかなかった。

ダンス系の正確性、表現力が不足していた。

どうにかメダルをつかみ取りたい。日本チームは国際審判の採点傾向や、減点箇所をつぶさに精査し、村上や、同じくアクロバットの得意な宮川紗江の点がもう一歩伸びない理由を突き止めようとしていった。

そこで判明したのが、ダンス系と呼ばれるターンやジャンプの正確性が不足していることや、技と技のつなぎのところの表現力が足りていないということ。

この情報をナショナルチームとして共有した。村上を指導する日体大の瀬尾京子監督は、点を取れる演技をつくりあげるための研究や工夫、努力を重ねた。

こうして今年8月から曲や振り付け、演技構成を変更。今回はその結果の金メダルだったのだ。村上のゆかでの優勝は、パワー不足という日本女子のイメージを覆すことにもつながった。

14歳コマネチの出現によって気づかされたこと。

競技フロアで村上の表彰式の準備が始まろうとしているときだった。ミックスゾーンで取材に応じた塚原千恵子女子強化本部長は、日本でちょうど朝を迎えている池田敬子さん(83歳、現全日本ジュニア体操クラブ連盟会長)に電話を掛け、歴史的金メダルの喜びを報告した。そして報道陣に向き合うと、感慨深そうにこう言った。

「夢と思っていた金メダルをモントリオールで獲れたことに、何か縁を感じる」

'76年モントリオール五輪。28歳で日本女子体操陣のチームリーダーとして現地に赴いた塚原(当時日体大教諭)は、ルーマニアの天才少女の出現に激しいショックを受けた。当時の日本女子は、若手は一部で社会人や大学生が中心だった。

「世界はすでに14歳で優勝する時代になっている。社会人になってからでは間に合わない。ジュニアを強化しなければならない」

こうして日体大を辞職して朝日生命に入り、ジュニアの育成を開始した。

ジュニア強化の重要性に気づいて40年。ようやく……。

一方、池田さんもまた、モントリオール五輪を境にジュニアの強化に本腰を入れた。村上の優勝後に日本協会を通じて出したコメントではこのように語っている。

「ジュニア強化の重要性に気づいて40年。その環境を育ててきて、ようやく女子の金メダル獲得という念願がかなった」

また、村上を指導する瀬尾監督は朝日生命出身。塚原本部長が若い頃に情熱を注いで鍛え、世界に出て行った選手だった。日体大2年だった'92年にはバルセロナ五輪に出場し、現役を退いた後は後進の指導に携わっているのだ。

栄光を刻む男子の陰に隠れながら、日本の女子体操界はコツコツと地道な苦労を重ね、「いつか金メダルを」と目指してきた。女子体操の歴史が変わった地で「村上茉愛」というヒロイン誕生の瞬間を迎え、新たな歴史の一歩を踏み出したのは、なんと喜ばしいことか。

「女子は獲れないと思われていたのが悔しかった」

塚原本部長は「村上はカナダに来てからの合宿でも一番練習してきた。準備がちゃんと出来て初めて成績が取れることを示している」と称えた。

村上に金メダルを首に掛けてもらったという瀬尾コーチは「良くやった。あれ以上のものは出せなかった。メダルを掛けてもらったのはうれしかった」と微笑んだ。

しかし、まだ誰も浮かれてはいない。当然だろう。3年後に勝負の東京五輪がある。

村上自身も落ち着いた口調だった。

「63年ぶりの金メダルが私で良かった。男子は有名だけど、女子は獲れないと思われていて悔しかった。女子も獲れるところまで来ていることを見せられて良かった」

内村航平、白井健三、亀山耕平に続く現役4人目の個人種目金メダリストは胸を張った。

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