コラム Column

あなたは吉村祐哉を知ってますか?15歳で渡欧し「第2のSHIBASAKI」に。

文:栗田シメイ
Shimei Kurita

吉村祐哉という選手をご存知だろうか。昨シーズン柴崎岳が所属したことでも知られるスペイン2部・テネリフェのBチームが、今季3年契約を結んだ異色のMFだ。

中学卒業後すぐにスペインに留学し、日本のクラブを経ることなくリーガでの契約を手にした。現在は、テネリフェBのトップ下でレギュラーを掴み、トップチームへの昇格も視野に入ってきた。テネリフェのU-23以下を担当する、育成SD(スポーツディレクター)のファン・ホセ・リベロは、クラブのレジェンドの名前を引き合いに出し吉村の将来性を評価する。

「フェリペ・ミニャンブレス(元テネリフェ、現セルタSD)やウーゴ・モラレスのようなタイプ。トップリーグで戦うために必要なものを持っていて、更に良くなるポテンシャルを大きく秘めています。まだキャリアの途中ですが、私たちはユウヤに満足しています」

リベロは、吉村の特長をこう分析した。

「短い距離でのスピード、フィジカル面も素晴らしい。さらにスペイン人に交じってもトップ下、ボランチをこなせる足元の技術。そして何よりも、隙あらばゴールに直結するラストパスを狙う姿勢、精度は目を見張るものがある」

レアルユースとの試合で、スペインに名が知れ渡った。

吉村の名がスペインのスカウトたちに知れ渡ったのは、昨シーズンのレアル・マドリーユースA戦でのことだった。当時ラージョ・バジェカーノユースAに所属していた吉村は、中盤でレアルのプレスを掻い潜りながら得意の左足で数多の好機を演出。強豪相手の1−1のドローに貢献する。レアル戦での走行距離は13kmを超え、“走れるテクニシャン”としてその評価を一気に高めた。

「日本の街クラブでさえレギュラーでなかった自分が、レアル相手でも充分やれるという自信がついた。中学を卒業してから、スペインに渡って3年。この地で積み上げてきたものが無駄じゃなかったな、と。この試合を機にリーガでプレーするという目標が具体化しました」

18歳の技巧派MFは、スペインの地で確かな手応えを感じていた。Jクラブ、名門高校からは見向きもされなかった“雑草”が、世界有数のエリート軍団に対して、自らの価値を証明した瞬間でもあった。

「第2のSHIBASAKI」として10番を背負う。

その後も吉村は、ユース契約のラージョで主力として成長を続けた。そして今年7月21日に、柴崎岳が昨シーズン所属したCDテネリフェと契約を結ぶ。B契約ながら、与えられた背番号は「10」。

トップチームへの昇格を見越しての契約内容は、評価の高さをうかがわせた。「第2の“SHIBASAKI”に」。カナリア諸島のサポーター達は、出色のパフォーマンスでクラブに熱狂をもたらした柴崎と吉村の姿を重ねた。

迎えた今シーズン。9月2日のサンタ・ウルスラとの一戦で、吉村は後半開始からトップ下として出場を果たす。翌節以降は、主にトップ下、左サイドを主戦場に前線のレギュラーとして、テルセーラ(リーガ4部)で上位に位置するテネリフェの攻撃のタクトを振るう。

そんな吉村の、海外組としては異端のキャリアはどのように始まったのか。

スペインサッカーの常識の中で育ってきた利点。

吉村は決して体躯に恵まれた選手ではない。身長は175cm。だがスペイン人や各国の代表クラス選手と比べると、体型は明らかに線が細い。

それでも中盤のあらゆるポジションをソツなくこなす戦術眼と、ほぼ全てのプレーを左足のみで完結させられる高い技術、そして運動量の多さを武器にポジションを勝ち取った。

吉村のエージェントを務める門田直輝(スペインサッカー協会公式仲介人)はこう話す。

「2011年以降、リーガで誰もが認める活躍をした日本人選手はほとんどいません。それは、技術的に足りないというわけではなく、スペインと日本サッカーの“常識”の違いに適応するのに時間が必要、というのが私の意見です。それほど両国のサッカー観の違いは大きい。

ただ吉村の場合は、時間をかけてスペインサッカーに慣れてきた土壌があります。それもあって、“単に上手い”ではなく、“危険”な選手と評価を受けた。だからこそ、どんな選手なのか興味がある、という打診をいくつかのクラブからもらえたのだと思います。

日本人としての特徴を活かしつつ、スペインの価値観を肌で感じてきた経験値をプラスに転換させた。満足に出場機会を得られなかったからこそ、逆に、高いレベルで結果を追い求めることが可能なメンタルが形成されたのではないでしょうか」

日本にいた中学時代は、クラブのBチームだった。

強靭なメンタルの土台は、本人曰く「選手としての原体験」という中学時代に片鱗を見せていた。東京で生まれ育った吉村は、ジュニア世代を杉野百草SSで過ごす。中学進学の前には東京ヴェルディユースのセレクションを受けるが、不合格。

しかし、本人はあくまで競争力があり、高いレベルのチームを望んだ。そんな経緯もあり中学では部活ではなく、クラブチームのFC多摩を選んだ。だが、クラブではBチームとCチームを行ったり来たりする存在だった。

「中学時代を通じて、Aチームでの出場は片手で数えるほど」と本人は回想する。公式戦でのチャンスはほとんど与えられなかった。試合には、選手としてではなくビデオ係として帯同する日々。それでも、吉村が自身の技術を疑うことはなかったという。

「正直、自分よりも技術で劣ると思っている選手が試合に出ている、という現実が受け入れ難かったです。卒業を控え、憧れだったスペインに渡ることを告げた日も、『ここで試合に出られない選手がスペインでできるわけない』という目で周囲からは見られた。

でもその時の様子が悔しくて、悔しくて……。何が何でもスペインでプロになり見返してやろうと決意が固まりました」

スペインにわたっても、18歳までは苦難の日々。

卒業後は、留学会社の斡旋でスペインに渡る。だが、スペインも当初思い描いた環境とは言い難かった。ビザの関係もあり、公式戦には出場できない。マドリード州の街クラブ3チームを転々とし、選手登録が可能になる18歳まで待つしか選択肢はなかった。

「18歳まで公式戦に出場できないことは理解して、スペインに渡りました。それでも、いくら頑張っても出場のチャンスがない環境は精神的にこたえました。

スペインでなら成長できるという実感はあっても、試合で試すことができない。もどかしさは積もる一方。だから日々の練習で一喜一憂するしかない。正直、何度も日本に帰ろうと思いましたね。

ただ、今考えるとなんですが、試合に出られない3年間があったから、プレーに対する飢餓が常にある。それは今でも変わりません。結果が全てで、結果さえ残せば試合に出られる。サッカーに対する考え方、日々の練習に取り組む姿勢、全てを見直しました」

自分のスタイルをスペイン流に書き換える。

その18歳を間近に控え、吉村は、ショートパス主体で自身のプレースタイルにマッチする、と感じていたラージョ・バジェカーノのユースBの入団テストを受ける。数日間に及んだテストに合格し、18歳と同時にユース契約を結んだ。

Bチームではすんなり主力にまで登り詰めたが、Aチームへの昇格を機に壁にぶつかる。昇格当初、全くといっていいほど出場機会が与えられなかったのだ。

門田は当時の吉村の様子をこう話す。

「やっとの思いでAチーム契約に上がり、練習でアピールに成功しても5分も出場できない。本人も当初は、『パスの出し手と受け手の意識が違う。ボールを綺麗に出そうという感じがなく、リスクを背負ったパスが必要。その上で、結果を出して初めて評価される。スタイルを変えないと』、と珍しく課題や弱みを口に出すこともありました」

結果的に、シーズン前半は満足な出場機会が得られないままだった。同ポジションのライバルには、アトレティコ・マドリーユース出身者や、ポルトガル代表など、各国の世代別代表に選ばれるような猛者たちがいた。

日本では失格の烙印を押されたスタイルが……。

だがそんな中、与えられた5分間でアシストを決めたことで状況は激変した。次節以降レギュラーとしてポジションを掴み、レアル戦での活躍に繋げていく。

「正直、体も大きくないし線も細い。ほとんど左足しか使わないプレーは、日本では失格の烙印を押されました。

ただ、スペインではサッカーに対するアプローチや捉え方が全く違った。積極的なミスは咎められないし、むしろミスを怖れて消極的なプレーをすると外される。

スペインで同じような経歴を持った選手は、たぶん僕しかいないと思うんですね。敏捷性や細かい技術という日本人としての強み、スペインで学んだ感覚。この2つを突き詰めることが、他の人にない武器になりつつあるという自負はあります」

昨シーズンが終了する頃、吉村のもとには複数のクラブから打診が届いた。オファーの中で「トップチームへの昇格を前提」という好条件を示したテネリフェへの入団を決めた。

「僕がスペインで結果を残す事で、勇気を与えたい」

13歳から、18歳までの6年間。選手として最も伸び代が大きい成長期に、ほとんど実戦での経験を積めなかった。本来であれば、致命的ともいえる環境の中、逆説的なアプローチで契約に漕ぎつけた。

吉村の選択は、これまで先駆者たちが築き上げたキャリアとはずいぶんと異なる。絶え間ない努力と、並々ならぬ意識の高さ故に紡げたサクセスストーリーともいえるだろう。そして、後に続くさらに若い日本人選手にとっても、新たなモデルケースとなり得る可能性すら秘めているのではないか。

「中学時代の自分のように、日本で燻っている選手はたくさんいるはず。僕がスペインで結果を残すことで、同じような少年たちに勇気を与えられる存在になりたい。近い将来、リーガ1部の舞台に立ち、自分のようなキャリアでも世界で戦えることを証明したいんです。

ラージョではトップチームへの道のりは遠く感じていた。ただ、テネリフェでは努力すれば現実的に届く状況にある。まずは今シーズン中でのトップ昇格を目指して、毎節結果を残していくことに集中します」

日本で生まれ育ち、スペインの地で磨かれた基盤は、吉村にしかない感性として昇華されつつある。吉村がリーガの舞台に足を踏み入れた時、それは日本サッカー界に新たな選択肢が開かれたことを意味するのかもしれない。

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